荒木経惟 阿写羅 ASHARA

2018.2.3 - 3.21

2018.2.3 - 3.21

自らの「遊び場であるファインダーの中」に、「微動する時間をフレーミングする」荒木の写真は、
とどまることなく異なる地平へと飛翔し、多様で限りないイメージの源泉であり続けています。

本展で、荒木経惟は、「写狂老人A」(*註1)に続いて「阿写羅(ASHARA)」を名乗ります。
三面六臂(3つの顔と6本の腕を持つ)とされる阿修羅は、仏法の守護神であり、
輪廻転成思想の「修羅道=諍いの絶えない世界(*註2)」を司る、闘いの神として知られています。

常々、荒木は、写真には、生と死、幸と不幸、善と悪、など
人生を交錯する全ての相反する要素が内包されていると語っています。
表層を突き抜けて瞬時に情感を注ぎ込む荒木のシャッターは慈しみを込めて開閉され
撮られるものはその所作に感応するからこそ
自らの生の根底にあるものをカメラの前に差し出すことができるのかもしれません。
眼前の事実をからめとった写真が、虚もまた真なりという逆説をはらむ不可思議。
荒木の写真は、常に見るものの精神世界を押し広げて既視と未知の端境をやすやすと越えさせてくれるのです。

既成概念や過去の自身の作品にすら、とらわれることなく提示される荒木の最新作には、
例外なく、斬新な発想が盛り込まれてきました。
2018年の初頭を飾る本展もまた、新しい試みによる未発表作品で埋め尽くされます。

荒木経惟展「阿写羅」
会期:2018年2月3日〜3月21日〔休・会期中の月曜火曜〕13:00 – 19:00
会場:アートスペース AM
150-0001 東京都渋谷区神宮前6-33-14 神宮ハイツ301/302

展示作品は、阿修羅の三面の顔にちなむ、3つのシリーズで構成されます。
ポラロイドフィルム作品3点を接ぎ合わせた組作品
連続する3カットによるコンタクト作品
「阿写羅日記」巻子本

みなさまのご来場を心よりお待ちいたしております。

*註①  葛飾北斎が、70代半ばより「画狂老人卍」と名乗ったことにちなむ。
北斎は、生涯を通して精力的に制作を続け、何度も改号をした。

*註②  衆生が、生き方に応じて輪廻転成し彷徨う六道と呼ばれる6つの世界があるとする仏教の教え。
六道とは、天道(てんどう、天上道、天界道とも); 人間道(にんげんどう); 修羅道(しゅらどう、阿修羅道とも);
畜生道(ちくしょうどう); 餓鬼道(がきどう); 地獄道(じごくどう)
阿修羅の語源といわれるサンスクリット語の「ASURA」は、紀元前12世紀ごろ古代インドの宗教文献『リブ・ヴェーダ』に登場する。
それによると、ASURAは、「生命を与えし者」を意味し、神々の総称であった。
のちに、天を表す「SURA」に否定の接頭語「A」を伴い「天にあらざるもの」とされ、
天道の神、帝釈天に一度も勝利できずとも闘いを挑み続けたといわれている。
険しい表情で威嚇的なポーズをとって描かれてきた阿修羅だが、
少年のような華奢な身体を持つ奈良・興福寺・阿修羅像の眉をひそめた哀しげな面立ちは
いうに言われぬ複雑な表情を浮かべている。
ーーーなんというういういしい、しかも切ないまなざしだろう。
こういうまなざしをして、何を見つめよとわれわれに示しているのだろう。
それが何かわれわれ人間の奥深くにあるもので、その一心なまなざしに自分を集中させていると、
自分のうちに自ずから故しれぬ郷愁のようなものが生まれてくる、
――何かそういったノスタルジックなものさえ身におぼえ出しながら、
僕はだんだん切ない気もちになって、やっとのことで、その彫像をうしろにした。
(堀辰雄『大和路・信濃路』より抜粋)