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ARAKI TELLER 死生

荒木経惟

und

Juergen Teller

80年代終わりから90年代前半にかけて、写真をめぐる様々な予兆がたち込めた。

日本で初めての写真美術館が開設され、写真専門のギャラリーや雑誌が躍進、写真専門の学科、学校が賑わった。新進のデジタル技法が写真とアートの境界を溶解して拡張させ、欧米のマスター・フォトグラファーのオリジナルプリントを中心に作品市場が育ち、日本写真への注目が海外へと活躍の場を押し広げた。日本に限らず、有能な若手が次々に輩出した。

荒木の海外での個展が大反響を呼んだのは1992年、ヨーガン・テラーの初めての個展は1991年だ。

荒木経惟とテラーの出会いは、個展のためにテラーが来日した1991年の東京である。

その頃のテラーは、今よりほんの少し痩せていて、今と変わらず鋭利な感受性を全身から漂わせていた。

友人に連れられ、荒木の野外展を訪れたテラーは作品から衝撃を受け、その夜新宿での宴に招かれて荒木の人間性に魅せられた。

2005年、バービカン・センターの個展に際し荒木がロンドンを訪れた時には、テラーがウェルカムパーティを催している。

さらに10年を経た2014年、ウィーン・ウェストリヒトギャラリーで、荒木とテラーの二人展「ARAKI TELLER TELLER ARAKI」が開かれた。

同名の写真集に、テラーはこのように書いている。

「荒木さんの写真は心底正直で、美しい。僕は、彼の写真のロマンティシズムと、哀しみと、命のエネルギーに強く惹かれる」。

荒木はこう述べた。「ヨーガン・テラーの写真は”いとをかし”。念の為言っておくと、これは褒め言葉なのだ」。そして、「(二人の写真群には)”現在”が溢れている。写真とは眼の前のその時のこと。だからここで提示されているのは”写真”そのものだ」。

中でも、荒木のお気に入りのテラーの写真は、テラーが母とともに故郷・ドイツの森を散策しているカラー写真のシリーズだった。

2019年11月11日にスタートする二回めの二人展で、テラーは新作シリーズ『Leben und Tod (生と死)』を出品する。

伴侶を亡くしてからスポーツジムに通い始めた76歳の母の姿、死についての思索を巡らせたブータンでの旅の途上のセルフ・ポートレートが含まれる。

荒木は、テラーと母の思い出の品々である、様々なオブジェや祖母から母へと伝えられた陶製の人形、テラー家が営んでいた工場で森の樹木から製造したバイオリンのブリッジなどを、花と自身の人形やフィギュア達に溶け込ませて撮り下ろし、テラーの母に捧げている。

「ARAKI TELLER 死生」は、時間と関係性と想いの交錯が生成する特異な写真展である。

「ARAKI TELLER 死生」artspace AM 2019年11月11日(月) – 12月15日(日)13:00 – 19:00 月曜火曜休(11/11と12はオープンいたします) 150-0001 東京都渋谷区神宮前6-33-14 神宮ハイツ301/302 問合せ phone 03(5778)3913 contact@am-project.jp      

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荒木経惟 四面哀歌

NOBUYOSHI ARAKI SHIMEN AIKA

『ARAKI: effetto」イタリア・シエナ、「花幽」中国・北京、「Life by Film」タイ・バンコックで個展を開催中の荒木経惟による、アートスペースAMでの本展は、ポラロイド・ワークをフィーチャーします。

これまでも、ポラロイド作品をアレンジする斬新なアイディアで創り出す様々なシリーズ=作品をカットして二枚の断片をはぎ合わせ一枚の作品を創り出す『結界』『切真』、闘いの神阿修羅の三面にちなむ3点1組の『阿写羅』など・・・が、次々にAMで展示されてきました。

本展の作品は、4点で構成される『四面哀歌』。

かつての中国で、漢の大軍に四方を取り囲まれた楚の項羽が、漢軍から聴こえてくる楚の歌に、どれほど多くの味方が敵に取り込まれてしまったのかと落胆したという「四面楚歌」とは関係がありません。

作家の優れた構成力によって編まれた4枚組み作品100点が、それぞれに奏でる切ないメロディをご堪能ください。

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荒木経惟 夏幸福

NOBUYOSHI ARAKI SUMMER HAPPINESS

2019.7.7 ~ 8.15

artspace AM

10年ほど前になるだろうか。

荒木さんは」幸福写真というテーマを追って、通信社の記者と毎月のように撮影に出かけていた。

出向いた場所は、花見客で賑わう桜満開の井の頭公園、老人の原宿と呼ばれる巣鴨のメインストリート、七五三を祝って参拝する親子づれの晴れ着がまぶしい明治神宮など。

ーーどういうことが生きることか、どういうことが不幸かなんてわからない。だから、ファインダーを覗きながら、相手に教えてもらうつもりで、心を自由にして想像を膨らませる。相手に教えてもらうこと、それは写真の事(こと)だけじゃないよ。みんな、それぞれに魅力があるし、何かしら新しいことを教えてくれる。だから、アタシにとっては世間のみんなが先生なんだねーー(ポプラ社『幸福写真』より)

「真面目に照れずに」幸福と向き合い、心から嬉しがりながら押したシャッターは、こぼれんばかりの笑顔をすくい取った。

本展に紹介されているのは、「家族の休日」からの25点。

都内の遊園地の大きなプールで、つかの間の休日を満喫する家族やカップルたちの歓声やざわめきが聞こえてくるような場面が並んでいる。

今年の夏、「アタシの写真は、いつでもどういう風に見てもらってもいいって思ってるんだけど、今回はちょっとメッセージを提出してみようと思った」。

世間では、無差別殺人や幼子への虐待など哀しいニュースが後を絶たない。そんな時代を背景に、「恋人とか家族など、身近な愛する人への笑顔、身近な愛する人からの笑顔こそが、本当に素晴らしく一番大切なんだという気持ち」をこめて、当時の写真が再構成された。

写真集『幸福写真』は、亡き妻・陽子さんの写真で締めくくられている。荒木さんの幸福写真論は、ここから始まったのかもしれない。年齢を経て「死神を背中に感じる」ようになり、写真はより強く、生へと向かう。

ーー100%の不幸なんてないって信じてる。たとえ99%不幸なことがあっても、残りの1%の幸福の瞬間を私は撮る。1%の幸せを永遠にする。そう思ってシャッターを切るーー

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NOBUYOSHI ARAKI : HITOZUMA POSCA

「タコツボ現象」が、マーケティング業界でささやかれるようになったのは、
バブルの終わり、80年代の末のことだ。
消費行動が飽和して、モノを買うことが、
人生を自己表現のステージに変える手段となり、
自身の領域を明確にしようとする傾向を
タコの穴にこもる習性にたとえたものだ。
感性派閥(例えば、ポパイ派なら、ボタンダウンのシャツ、
ヴェスパに乗って、下北沢近辺に出没…といった具合に)
という言葉と並行して使われた。
よくもわるくも、ライフスタイルの細分化の始まりであり、
オタク化への初めの一歩と言われたが、
モノで外壁が塗り固められていたところが、現代との大きな違いだろう。
消費分析の便利なところは、数値化しやすい点だ。
しかしながら、実に多種多様で複雑怪奇な人という生きものの行為や思考を、
グルーピングするのは土台困難で、想像をはるかに超えるようなことが日々起きる。
この写真展もまた、驚異的に解析不能だ。
女性たちの笑顔、仕草、皮膜の奥底からほとばしる生き様のオーラは、
おおらかに力強く輝く。
しかるべく存在する憂いや傷みの翳は、
光に奥行きと深みを与えている。
撮ってさしあげる、と荒木さんは、常からいう。
表現をするのはレンズの前のその人で、
相手の気持ちに感応し最高の形で提示するのが写真だ、と。
女性は凄い、ほんとうに。
写真を介した関係性の生成する時間軸が、
この上なくまばゆいせいだろうか。
つい夢見てしまう。
すべての女性が、真の笑みとともにあり、
自ら導きだした価値観にのっとって、のびのびと屈託なく、
太陽のように輝き、人生を謳歌せんことを。
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荒木経惟「デロン君が帰ってきたゾーウ」

70年代の電通時代、荒木が仕事のあいまを縫って描いていたドローイングの中に、デロン君がいました。さらにその出自を辿れば小学生時代、初めての粘土細工は象だったのです。そのデロン君が香港の有志によって、セラミックのスカルプチャーに生まれ変わりました。3つの鼻は、求愛の印。どの鼻が一番先に女の子の寵愛を得られるか。競い合って、絡まり合ってしまいました。「デロン君、お帰りなさい!」の気持ちをこめての本展です。新生・デロン君と共に愉しい時間をお過ごしください。

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荒木経惟「霊安冬春」 Nobuyoshi Araki : Reian Toushun

近作での登場回数が増えるごとに、姿を変貌させていった人形たちが白いボックスに納められた。次の出番を心待ちしながら、のたりのたり安らいでいるようでもあり、疲れ果ててお役御免を願いつつ束の間の安穏をむさぼっているようでもある。奇々怪々の風態で、夜中にこっそりと箱を飛び出し遊び呆けているのかと勘ぐったりもするのだが、霊安箱にたむろする彼らは、いずれにしろ、自身の秘密を誰にも語らず、冬を越す。柔らかな春の陽射しは、もう、すぐそこに。

荒木経惟「霊安冬春」2019年2月22日〜3月27日 13:00-19:00 月曜・火曜・3/7-8 休  @artspace AM

#302 Jingumae Shibuya-ku Tokyo 150-0001

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荒木経惟 「銀塩女優 SUMMER XU」


銀幕にかけて「銀塩女優」。

中国を拠点に活躍を続ける女優、Summer Xuを撮り下ろしたモノクロームのポートレートを、花のポラロイドが彩ります。

本展に併せ、全展示作品を収録する可憐なカタログを、少部数ながら思いを込めて制作いたしました。

皆様のご来場を心よりお待ちいたしております。


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次回展覧会のお知らせ

荒木経惟 「銀塩女優 Summer Xu」

Summer Xu (许晴)は、北京を拠点に活躍する国際女優である。

フィルムアカデミー在学中の90年代のデビューから注目を集める。たゆまない努力と情熱、軽やかで自在な向上心で仕事に打ち込み、現在に至るまで、多様なジャンルで飛躍を続けて中国の人々に愛されている。

写真家・荒木経惟との最初の接点は、90年代の撮影である。その後の20余年の間に彼女は、数々の大作で重要な役割を担い映画賞受賞を重ねながら、優美な佇まいと可憐な姿の奥に、経験がもたらす複雑な精神の襞を潜ませてきた。

2018年秋、都心のスタジオのメイク室の階段をおりてきた彼女は、ノーメイクで日常愛用する服をまとっていた。ありのままの自分を現したいという望みは、すでに荒木に伝えられていた。 イヤホンで聴いているという彼女の最近のお気に入りのBGMが流れ、シャッター音が響く。濃密な時間のたゆたいに寄り添いつつ、ときに、荒木の発するジョークに声を立てて笑う立ち居振る舞いは、しなやかな自然体で、そして美しかった。 これまでの多くの旅を連想させる年季の入ったスーツケースいっぱいに詰め込んできた私服の、何度目かの着替えの前に「メークしたところも撮っておこうか」と荒木が声をかける。

黒で統一された衣服に映える真紅のリップが、色白の肌を際立たせる。荒木の指示で身体を動かしていくうちに、彼女の中でイマジネーションがみるみる膨らんでいく気配が傍目にもわかった。空気がさらに熱を帯びたころ、高まった感情は、许晴の瞳から涙を溢れさせた。彼女が奏でた物語がどのようなもので、どのような情景がその眼に映っていたのか、オブザーバーには知る由もない。ただ、頬を伝わる涙は静かに澄んでいてほんとうに綺麗だった。

翌日台湾の映画祭に出席して、帰国した彼女が、上がった写真の画像を見て非常に喜び、写真集を熱望しているということが伝わってきた。 東京での展覧会の初日は、彼女の誕生日にあたる。

モノクロームのポートレート作品30点とポラロイドの花によって構成される、荒木経惟x许晴「銀塩女優 Summer Xu」展は、1月22日よりスタートします。展覧会カタログ同時刊行。

タイトル:銀塩女優 Summer Xu 荒木経惟x许晴

会期:2019年1月22日~2月17日

会場:artspace AM    150-0001 東京都渋谷区神宮前6-33-14 神宮ハイツ302 03-5778-3913


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荒木経惟 涅槃少女 Nobuyoshi ARAKI nehan shoujo

涅槃の語源であるサンスクリット語の「ニルヴァーナ」には、“吹き消す”という意味がある。
涅槃とは、煩悩の吹き消された状態=仏教の突極的目標とされる世界である。
生存のために切り離せない食欲や睡眠欲を脱した死後の世界にこそ、涅槃があるとして、釈迦の死を指す語でもある。

本能を触発しない、と、人工知能(AI)にエレジー(哀歌)を奏した、前回展の作品に、
荒木さんの写欲を一段と強く惹きつけた一体の古い日本人形がいた。
ひときわ、強烈な魅力を放っていた少女である。
彼女の存在をメタファーに、荒木さんの最新の気分を具現化したのが本展「涅槃少女」である。

どのような時をくぐり抜けてきたのか、愛されたのか軽んじられたのかーー
古い人形にはそれぞれが背負う過去が匂い立つ。
その表情は万化にうつろい、つかみどころがない。
幼児のようにあどけなく無垢のようでもあり、酸いも甘いもかみ分けた老成のようにも見える。

荒木さんの配置する花に囲まれた様々な姿態の人形少女たちは、
(花々もまた、若々しく輝いていたり、枯れてしなだれたり、複雑な妖相をかたちづくる)
当然の事ながら生命を宿しては生まれてきておらず、であるならば、生まれついての涅槃の住人なのだろうか。
あたかも脳神経とつながっているかのように、キラキラと眼力を瞬かせているというのに。

荒木さんが、亡妻・陽子さんに贈ったプロポーズの記念は、球体関節人形の作家であり写真家であった
ハンス・ベルメール(1902―75・ドイツ帝国カトヴィア<現在のポーランド領>生まれ)の写真集だった。
1987年、荒木さんは、フランス人写真家、ベルナール・フォコン(1950ー)の
マネキン人形を写した作品展のオープニングに現れ、学ラン姿のフォコンと宴席を共にした。
もしかしたら、荒木さんには、ずっと昔から、人形が孕むなにものかに感応するセンサーがあったのかもしれない。

そもそも写真家とは、シャッターを押し込む瞬間、その身体には(おそらく)心がない。
空っぽの器と化した肉体は、からくり人形のように、何か神妙なもの、もしくは、奇天烈な力によって采配される。
瞬間の天啓ともいうべきものを受容する才能が、写真家を写真家たらしめ、
シャッターチャンスを悟るのである。
この、ある種超自然的な作用を、荒木さんは、“本能”と呼ぶ。

煩悩にまみれた人間世界の住人が、カメラを介して、限りなく悟りの境地へと近づく。
人形の虚ろと人間の本能とが壮絶に渦巻く、虚と実の薄皮一枚で隔たれた世界に挟まれると、
感覚が浮遊して、混沌へと迷い込んでしまう。
しかし、そうやって目くらまされているうちに、どこからか湧き上がる、
みずみずしく真新しい気力のようなもので身中が徐々に満たされていくことが、いつも不思議でならない。

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NOBUYOSHI ARAKI AI ELEGY

時代の風に吹かれるのはすきだよ。
でも、便利に慣れすぎちゃうと
人生までイージーになっちゃうような気がする。

荒木経惟「AI エレジー」
2018年10月10日〜11月30日
closed on monday, tuesday and10/19-21 11/14

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